気泡緩衝材の始まりと、漬物屋の決意

弊社株式会社和泉の親会社は、いづ藤漬物舗(http://www.izuto.co.jp/)という、漬物屋です。
なぜ、漬物屋が気泡緩衝材エアセルマットを製造し、販売するに至ったのか?

気泡緩衝材の発祥をご紹介しつつ、弊社がエアセルマットの製造販売を行うきっかけとなったエピソードをお伝えしましょう。

気泡緩衝材が生まれたのは、1960年。
米国ニュージャージー州に本社を構えるシールドエア社において産声を上げました。

つぶつぶした突起が特徴的な、気泡緩衝材のヒントとなったのは、雲。
シールドエア社創業メンバーのひとりが、飛行機の窓越しに広がる雲海を眺めて思いついたそうです。

「無数の雲の山を突起にしてシートに張り付ければ、割れ物の緩衝材になる。これなら必ず売れる」

日本では、プチプチ、エアキャップなどとも呼ばれる気泡緩衝材ですが、シールドエア社は、この新発明を「バブルラップ」と名づけました。
発想から数年をかけ、バブルラップの量産化に成功し、シールドエア社が創業したのが、1960年。トランジスタの梱包材として需要を伸ばしました。

テキサスインスツルメンツが1954年に発明したトランジスタは、1960年代に入り、トランジスタ・ラジオ、トランジスタ・テレビなどの発売とともに、それまでの真空管に代わって、爆発的な普及を遂げます。バブルラップは、時代の流れにも後押しされ、アメリカのみならず、世界的に普及していきました。

株式会社和泉の創業は、1976年。
名古屋名物である守口漬の伝統を守る、老舗の漬物屋であった、いづ藤漬物舗の店主:伊藤(故人/和泉元会長)が、名古屋財界の友人とともに、サイドビジネスとして起業しました。

創業期の和泉は、オーストリアの研磨剤原料(砥石、サンドペーパーなどの原料)の輸入販売代理店でした。

気泡緩衝材との出会いは、店主:伊藤の友人からの相談。
「エアーキャップ(プチプチ)なるものを、ドイツのデュッセルドルフで製造しドイツ国内外に販売したい。ついては、その製造機械を調達してはもらえまいか」

ふたつ返事で承諾した伊藤は、オリジナルで製造機械を造り上げ、輸出します。ビジネスは成功します。日本人特有の緻密で丁寧な仕事を結晶させた気泡緩衝材は、予想以上に売れました。
気を良くした友人は、事業展開の拡大を図り、今度はイギリスで製造販売する計画を立てました。

伊藤は、友人の頼みを受け、イギリスでの製造販売に向けて、二台の気泡緩衝材製造機械を準備します。ところが、イギリス進出費用が予想外に膨れあがり、二台のうち一台の出荷はペンディングになってしまいます。

「無理をするな。しっかり採算ベースに乗るまで一台の機械で事業展開しなさいな。名古屋の港に置いてある機械は錆びないうちに俺が引き取り、日本でエアーキャップなるものの製品をつくり販売するわ」

友人の懐事情を知る伊藤は、このように言い、そしてこのエピソードが、今につながる気泡緩衝材エアセルマット製造メーカーとしての、株式会社和泉誕生の瞬間であったわけです。

老舗漬物屋として、伊藤はポリシーを持っていました。
「常にほんものを追究し誠実に製品つくりに取り組めば世間の人たちはきっと喜んで買ってくれるに違いない」

漬物屋から、輸入商社、そして今度は工業製品の製造販売に取り組む。
異業種であり、新しいビジネスへのチャレンジでありながら、伊藤が気泡緩衝材エアセルマットの製造メーカーとして歩み始める決意をしたのは、名古屋の伝統を守る老舗漬物屋として、お客様と誠実に向き合ってきたという、実績と自信があったからにほかなりません。

「常に物事の本質を見失わず、”ほんもの”を追求する会社でいたい」

弊社のポリシーは、このようなエピソードのもとに、創りあげられたのです。


※参考
朝日新聞 2010年3月24日 「プチプチ愛され50年」

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