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「トヨタが世界一になることができたのは何故でしょう?」
以前、私が講演でもお話ししたテーマです。今回は、このテーマについて、考えてみましょう。
トヨタ世界一の原動力は何か?
カンバン方式?
それともジャスト・イン・タイム?
トヨタ生産方式によって、コストダウンを徹底的に図り、世界随一の競争力を身に着けたから?
いえいえ、それは手段であって、本質ではありません。なまじっか、トヨタという企業を学んだ方、トヨタ生産方式を学んだ方ほど、間違えてしまうかもしれませんね。
では、答えは何でしょう? 回答を申し上げる前に、今の日本企業の状況を考えてみましょう。
例えば、家電。
かつて、日本の家電は、世界中のあこがれでした。日本の家電は、品質の代名詞でもありました。ところが今はどうでしょうか。海外メーカーに押され、リストラを繰り返す国内家電メーカー。シャープが鴻海精密工業の傘下に下ったことは、国内家電メーカーの現在を表す象徴的な出来事と言って良いでしょう。
何故でしょうね。
トヨタ以外の国内自動車メーカーも、ぱっとしません。
何故でしょうね...
答えは、トヨタの歴史の中にあります。
「言った通りにやれ、それでできなくても文句はいわぬ」
これは、豊田喜一郎の言葉です。実に、喜一郎らしい言葉ではないでしょうか。
今の世の中はどうなんでしょう。「言った通りにやれ! やれなかったら、お前が悪い」、そんな上司が多いのではないでしょうか。
豊田喜一郎は、豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)の創業者であり、トヨタの礎を作った豊田佐吉の息子。トヨタ(当時はトヨタ自動車工業)二代目の社長です。
喜一郎は、温情の人でした。従業員に優しく、喜一郎を慕った多くの人たちが、トヨタを支え、トヨタを救ったのです。
喜一郎を慕ってトヨタを支えた人物の代表と言えば、やはり販売の神様と言われた神谷正太郎でしょう。神谷が、「泥にまみれても国のために国産車を育てよう」という喜一郎の言葉に感銘を受け、日本ゼネラル・モータース(GMの日本法人)のナンバー2である副支配人の立場を捨て、五分の一の給料で喜一郎のもとに馳せ参じたのは有名な話です。神谷はその後、トヨタ自動車販売の初代社長となりました。
トヨタ三代目の社長であった、石田退三は清貧の人であったと言われます。自身が、親戚の支援で学校を出るなど苦労人であった経験が、石田の経営哲学に大きな影響を与えたのかもしれません。「乾いたタオルを絞る」は、石田の言葉として有名です。無駄を許さず、トヨタの無借金経営を実現させた石田だからこその言葉なのでしょう。
「産業人としての私の信念は『自分の城は自分で守れ』ということ。これが石田退三の『一枚看板』である。ここでいう、城とは、むろん会社をさす。自分の会社のことは自分で責任を持とう、人にたよらず自力で守っていこう、ということなのだ」(石田退三)
これこそが、経営の原点ではないでしょうか。
「私が憂慮しているのは、諸先輩の努力で確立した『ゆるぎなき自信と自負』が『慢心』に転化していないか、これまで当然見えていたものが、当たり前として見えなくなっていないか、また、『安易な習慣化』により努力が適切に評価されなかったり、チャレンジ精神をむしばんでいないか、ということである」(豊田喜一郎)
まさに、今の日本企業を表す言葉ではないでしょうか。
企業は人から成り立っています。いい人柄にはいい人材が集まります。
私も、私自身も気が付かぬうちに教育を受けて、成長できたのではと感じるこの頃です。
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