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「大災害に見舞われた時、我々はどのように行動するのか!?」
この問いに対し、真剣に取り組んでいる小学生たちがいます。日野市立平山小学校の児童たちです。
株式会社和泉は、気泡緩衝材エアセルマットを通じて、全国でただ一校、平山小学校だけが教える「生き抜く科」に巡り合うことができました。
「生き抜く科」という、美しく、そして力強いカリキュラムについて、レポートをお届けしましょう。
※記事中の画像はすべてクリックで拡大します。
秋も深まり、そろそろ肌寒さを感じ始める10月の夕方、東京都日野市立平山小学校に、同校に通う小学4年生約70名と、その父兄たちが集まり始めました。
これから明朝7時半にかけて、「生き抜く科」授業の一環として、「『避難所開設訓練』及び『避難所宿泊学習』」が行われるのです。
メイン会場となるのは、体育館。受付では、氏名と住所を記載する台帳と、ガムテープが用意されています。ガムテープは、名前を書いて胸に貼り付け、名札代わりとするために用意されています。
体育館前に設置されているのは、炊き出し用の巨大な鍋とガスコンロ、そして配膳用のテントです。
配膳用のテントでは、集まった父兄たちが、食事の用意を行う段取りを話し合っています。
「炊き出しのための役割分担などは、あらかじめ決めていません。今回参加してくださった父兄の皆さんに、この場で考え、そして決めてもらっています」
この宿泊学習の仕掛け人である、根津美満子さんは言います。
「今回の宿泊学習におけるテーマは、『何も企画をしない』。運営をする側、企画をする側も自分たちの対応力、企画力を試していきたいと考えています」
確かに、いつ発生するか分からない自然災害に対して、完璧な準備を用意することなど現実的には難しい...。
筆者の浅い心のうちを見透かしたかのように、根津さんは続けます
「今回できなかったことというのは、いざ震災が起こった時もできないことと考えられます。今年の宿泊学習においては、できないことの洗い出しを目的としています。
次年度以降もこの活動を続けていくことで、『できたこと』と『できないこと』の集積を作り上げていきます。この集積を避難ノートにまとめます。
『震災に強い平山地区(※同校のある地区)を作り上げる。その礎となる子どもたちを育てる』ことを実現するために、作り上げた避難ノートは重要な役割を果たすでしょう」
大震災のような非常時に、四角四面なマニュアルは役に立たないでしょう。マニュアルを読み返す余裕などないかもしれません。
だとすれば、このような訓練を重ねることで掴み取った大事な気づきだけを、きちんとノートにまとめておけばいいのです。それ以外のことは、マニュアルを用意せずとも、ここ日野市平山地区の皆さんは実行可能なのだから。
本当に大切なエッセンスだけを凝縮した珠玉の避難ノート。
これは確かに、力強い取り組みであり、そして目標です。
集まった児童たちが最初に行うのは、「避難所HUGゲーム」です。
HUGとは、静岡県が開発した避難所運営シミュレーションゲームのこと。
大災害が発生し、避難所を運営しなければならなくなったあなたのもとには、さまざまな年齢、性別、そして事情を抱えた避難者が集まります。避難所となる体育館や教室に見立て模造紙に描かれた図面上に、適切に避難者たちを誘導、配置し、また避難所で発生するさまざまな出来事への対応を疑似体験するシミュレーションゲームです。
児童たちが行うHUGゲームと同時進行で、父兄は夕食を作ります。
夕食のメニューは、豚汁とアルファ米の炊き込みご飯。
約70人の生徒に加え、父兄、そして消防隊の方々、日野市の関係者など、お腹を空かせた100名以上の参加者に、手際よく配膳していく父兄の皆さん。
美味しかったです、ありがとうございました!
ここで、日野市立平山小学校が行う、「生き抜く科」についてご紹介しましょう。
「生き抜く科」は、日本で唯一、ここ平山小学校だけが行う防災教育カリキュラムです。文部科学省の指導要領には含まれていません。平山小学校は、文部科学省研究開発学校の指定を受けることで、他に例を見ない「生き抜く科」を教えているのです。
「生き抜く科」の研究・カリキュラム主任である、安齊(あんざい)美代子先生にお話を伺いました。
特に東日本大震災以降、注目される防災教育ですが、学校教育カリキュラムにおいて、防災教育は「ついで」に過ぎません。社会科、理科などの一部に散在している防災教育を、独立し体系化した教科として、きちんと教えたい...。
そのような想いから安齊先生は、「生き抜く科」カリキュラムを研究、開発しました。
平山小学校が作成した「生き抜く科」のパンフレットには、このように記載されています。
「新教科『生き抜く科』を中心に全教科・領域で生き抜く力を育成」
予告なしの危機発生時対応訓練。
AEDを使った心肺蘇生法の学習。
着衣水泳、防災キャンプ、防災ウォークラリーなど、他科目との連携も行い、平山小学校に在学する1年生から6年生までの児童は、6年間でトータル574時間、「生き抜く科」を学習します。
「例えば台風が来た時、低学年の生徒たちもニュース等から積極的に情報を得ようとする意識が芽生えました。
高学年の生徒たちにおいては、ただ台風を警戒し、自宅に閉じこもるだけではなく、『何をこの時にしたら良いのか』を考える習慣が生まれてきました。庭にある、強風で飛ばされそうなものを固定したり、室内に収納するなど、具体的な防災行動ができるようになっています」
(安齊先生)
自然災害に対し、未来を切り拓いていく実践力を身につけることを目指す「生き抜く科」。
安齊先生を筆頭に、平山小学校の先生たちは、「生き抜く科」の学習指導要領入りを目指し、教育の体系化、評価の観点や方法などをまとめ、文部科学省へ提案していくそうです。
夕食後は、佐藤敏郎先生の講演が行われました。
東日本大震災当時、佐藤先生は女川第一中学校の教諭でした。
そして佐藤先生は次女を石巻市立大川小学校に通わせており、あの悲劇的な事件の当事者として、次女を失いました。※
佐藤先生は現在、「小さな命の意味を考える会」代表として、全国で防災に関する講演などの活動を行っています。
講演内容を、ここでご紹介するのは控えます。当事者ではない第三者が、先生の言霊を伝言することは、講演の素晴らしさをスポイルすることです。興味のある方は、ぜひ佐藤先生の講演に足を運び、直接お話を聞いていただきたく存じます。
20時を過ぎ、避難所宿泊学習もいよいよ大詰めです。就寝前、児童たちに託された最後のミッションは、「避難所づくり」です。
用意された段ボールや新聞紙、エアセルマットなどを用いて、今夜一晩、自分たちが宿泊する寝床を作り上げるのです。
あらかじめ分けられた男女別のグループごとに、各々が考える避難所を作っていきます。
とは言っても、彼ら彼女たちは、まるで白紙の状態から避難所を作り上げているわけではありません。「生き抜く科」では、東日本大震災時の避難所の様子を学習し、また今春発生した熊本地震においては、避難所の皆さんとSkypeで動画チャットを行い、避難所のイメージを掴んでいるのです。
段ボールで囲いを作り、新聞紙と、弊社から提供したアルミ蒸着ラミネート・エアセルマットを敷き詰める...。
基本は同じなのですが、手際よく避難所づくりを進める女の子たちに対し、男の子たちはなかなか避難所づくりが進みません。玄関を作るグループ、やたらと念入りに荷物置き場を作るグループなど、男の子たちの避難所づくりは、イコール基地づくりなんですね、見ていると。
進行を務める先生や中央大学の学生さんたちからは、21時を回ってもはかどらない(特に男の子たちの)避難所づくりに焦る様子も見受けられました。しかし、取材をする私どもとしては、子どもらしいユニークさに、思わず微笑んでしまう場面でした。
体育館の自分自身で作り上げた避難所で眠り、児童たちは朝を迎えました。
すべて、アルミ蒸着ラミネート・エアセルマットを利用して一晩を過ごした児童たちの言葉です。
災害時の備えとして、エアセルマットの有効性を推し進めていきたい弊社にとって、とても力強い応援の言葉となりました。
「協働的な問題解決型の学び」
「生き抜く科」カリキュラムを、平山小学校では、このように位置づけています。
防災教育の難しさは、不正解はあっても、明確な正解がないことではないでしょうか。「あまり良くない正解」や「より良い正解」はあるのでしょうけれども。
では、不正解とは何か?
佐藤敏郎先生は、「防災とは、『ただいま』をかならずいうこと」と言います。だとすれば、「『ただいま』をいえないこと」、すなわち死んでしまうことが、防災の不正解なのでしょう。
学校教育、特に小学校のような初等教育において、マル / バツの判定が付けられないカリキュラムが難しいことは容易に想像がつきます。しかもシチュエーションが変われば、「あまり良くない正解」や「より良い正解」の評価も変わってしまうのでしょうから。
だからこそ、平山小学校の進める「生き抜く科」には迫力があります。
大災害から「生き抜く!」という実戦力には力強さを、豊かな発想力や思考能力、仲間との協働能力などの実践力には、美しさすら感じます。
「生き抜く科」は、学力テストなどでは単純計測することが難しい、本物の知性を身に付けることができる学習カリキュラムなのでしょう。
ぜひ、「生き抜く科」が学習指導要領に加わり、日本全国の小学校で学ばれる日が来ることを期待したいと思います。
◆注記/出典
HUGってなあに? / 静岡県
https://www.pref.shizuoka.jp/bousai/seibu/hug/01hug-nani/01hug-nani.html
※記事中に登場する女川町の震災被害と、石巻市立大川小学校について
女川第一中学校のあった宮城県牡鹿郡女川町は、高さ約14mの津波に襲われ、街の中心部は壊滅的な被害を受けました。犠牲者は、死者574名、死亡認定者253名におよびました。
石巻市立大川小学校は、生徒74名、教職員10名を津波で失いました。地震発生から津波到達までに1時間弱の猶予があったにも関わらず、適切な避難活動を行うことができなかった結果、学校管理下における戦後最大かつ悲劇的な被害を出しました。
これだけ大きな人的被害を出したことは、学校側の対応に問題があったのではないか?
津波で犠牲となった児童の遺族が、県と市を相手取って起こした訴訟の結果、学校側の過失を認めた判決が今年10月に下されたことは、記憶に新しいところです。
大川小訴訟 仙台地裁 判決要旨 / 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161027_13028.html
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