名古屋城と徳川美術館、徳川家の足跡を辿る【おぢ散歩】

名古屋城。
名古屋のシンボル的存在であり、全国に広く名を知られますが、実際に訪れたことのある方は意外と少ないのではないのでしょうか?
実はこの名古屋城、今年中に予定されている本丸御殿の全体公開、そして2022年の天守の木造復元など、今まさに旬のスポットなのです。

今回は、名古屋城、そして徳川家の足跡を辿る上では欠かせない徳川美術館を、当社岩崎、松本とともに「おぢ散歩」します。

※記事中の画像はすべてクリックで拡大します。

岩崎と松本、金のしゃちほこ前にて。
岩崎と松本、金のしゃちほこ前にて。

名古屋城について

名古屋城についておさらいをしましょう。

織田信長、豊臣秀吉の頃、尾張の要は名古屋ではなく、清須でした。
徳川家康が、清州城の改築ではなく、名古屋城を新たに築城することを決定したのは、1609年のこと。

天下分け目の「関が原の戦い」が行われたのが、1600年。
家康が征夷大将軍になり、徳川幕府を開いたのが1603年。
そして、豊臣家滅亡に至る大阪冬の陣が1614年11月、大阪夏の陣が翌年1615年4月。

つまり名古屋城は、徳川家康が豊臣の反撃に怯え、同時に徳川幕府の礎を固めようとしていた時期に、築城されたことになります。

  1. 攻めにも守りにも強い城とすること。
  2. 天下普請によって、豊臣恩顧の大名らの財力を削ぐこと。
  3. 戦の時代の終焉を見据え、平和的な活用も行うことができること。
  4. 平和な時代において、経済の繁栄を担う街づくりを行うこと。

名古屋城には、このような目的があったとされています。

 

名古屋城を歩く

おぢ散歩のスタート地点は、和泉本社です。名城公園の北側に接する当社本社は、名古屋城観光のスタート地点としてうってつけなのです。
春には桜満開の名城公園を抜け、左回りに名古屋城のお堀沿いを歩くと、正門までは約2km。散歩には適当な距離です。
入場券を購入し、本丸御殿、天守の方に歩くと、他の城と比べて圧倒的に広い通路幅に気づきます。戦のことだけでなく、平和の時代も見据えた名古屋城は、万事が広く作られているんだそうです。

ほどなく、立派な造りの建屋が見えてきます。復元工事中の本丸御殿です。

 

本丸御殿は空襲により焼けましたが、現在復元作業が行われており、全体の復元公開は今年度中に予定されています。私どもが訪れた2017年12月には、復元が終わった一部が公開され、このように見学することができました。当時の図面が残っていたことから、当時の精緻な本丸御殿を再現復元することが叶いました。

勘違いされがちなのですが、本丸御殿は尾張徳川家藩主の住まいではありません。藩主が住んでいたのは、二之丸御殿です。
本丸御殿は、将軍上洛時の御成専用でした。江戸から将軍が京都へ向かう際の専用ホテルだったわけです。尾張徳川家の藩主すら、平素は立ち入ることができなかったというから、なんとも豪華な話です。京都にある二条城本丸御殿に匹敵する格式であり、その造りも二条城に習っています。

私どものような平民は逆立ちしても立ち入ることができない場所、それが本丸御殿でした。岩崎、松本も、建物の持つオーラのようなものに感じるものがあったようですね。
名古屋城にお越しの際には、ぜひ往時を偲び、その豪華な造りと歴史の重みを実感していただきたいと思います。

 

現在の天守は、1959年に竣工されたもの。徳川家康が建てた天守は、本丸御殿同様、空襲により焼け落ちてしまいました。ちなみに天守の再建は、多くの名古屋市民の運動によって実現したものであり、和泉創業者も活動の中心にいたひとりでした。

現在の天守は鉄筋コンクリート構造であり、城内にはエレベーターもあります。現在、内部は名古屋城や戦国時代に関する展示を行う博物館となっています。

加藤清正の逸話が残る井戸。詳しくは本文を!

岩崎、松本が見ているのは、天守地下にある井戸の木枠。

この井戸には、加藤清正の逸話が残っています。
井戸を掘ったものの、あふれる水は濁ったまま。困った一同の前に現れたのが、天守の石垣を普請していた加藤清正。部下に命じ、金を持ってこさせた清正は、惜しげもなく金を井戸に投げ入れた。すると、見る見る間に濁り水が清く澄んだ水へと変わっていった...

加藤清正は、豊臣秀吉の親族であり、小姓として秀吉から可愛がられました。亡き秀吉を慕い、豊臣を憂うも、秀吉亡き後、好き勝手に振る舞う石田三成に嫌気が差し、福島正則らと家康に従ったとされます。
名古屋城天下普請の目的が、清正ら豊臣恩顧の大名に金を使わせることにあったことは重々承知しながらも、(本当かどうかは分かりませんが)このような逸話を残すくらいですから、清正は名古屋の人々からも慕われていたんでしょうね。

最上階にある天守閣は、7階にあります。徒歩で登る一同も、さすがに息が切れ始めます。
エレベーターも、5階までなんですよね...
50mを超える高さの天守閣からは、名古屋の街を一望することができます。名古屋城を訪れたら、頑張って登ってみましょうね!

天守の5階より下は博物館になっています。
名古屋城に関するもの、戦国時代に関するものなど、さまざまな展示が行われています。貴重な文化財もありつつ、石引きや記念撮影用のしゃちほこなど、楽しむことのできるアトラクション要素もちゃんと用意されています。

名古屋城見学を終え、腹を空かした一行が向かったのは、名城公園の一角に昨年生まれた「tonarino」。スターバックスなどが並ぶ憩いのスポットで、私どもは昼食の場として、「GARB CASTELLO」を選びました。

子供連れでも安心なキッズスペースも備えた店内で腹ごしらえを済ませます。

 

徳川美術館を愛でる

次に向かったのは徳川美術館です。
尾張徳川家別邸があった地に建つ徳川美術館は、尾張徳川家が残したコレクションを中心とした美術館です。国宝である源氏物語絵巻など、貴重な文化財、美術品を収蔵しています。

入館して目につくのは、展示品が室内を模し、実際に利用されていたであろうシーンを再現した空間に展示されていること。「空間復元方式」と呼ぶそうです。分かりやすくて良い展示方法です。

源氏物語絵巻は国宝であることから、常に原本が展示されているわけではありません。しかし、映像やレプリカなどを用意し、源氏物語の世界を来館者が常に楽しむことができるように工夫されています。
源氏物語って、「名前は知っているけど...」状態の方が多いことと思います。源氏物語関連の展示だけでも、徳川美術館を訪れる価値があるのではないでしょうか。

 

徳川美術館を訪れたら、ぜひ隣の「徳川園」も愛でましょう。
泉水を中心とした見事な日本庭園は、12月にも関わらず紅葉を楽しむことができました。

四季折々の表情を魅せてくれる徳川園は、日本庭園の持つ魅力をたっぷりと堪能させてくれます。

冒頭に述べたように、名古屋城天守は木造復元が決定されました。
予定では、2018年秋くらいから現在の天守は入場が禁止され、2022年に予定されている木造天守の復活まで、天守への入場は我慢しなければなりません。
一方、本丸御殿の全体復元と公開は、今年度中を予定しています。

今まさに変わろうとする端境期にある名古屋城。
徳川家の歴史と伝える徳川美術館とともに、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

参考リンクおよび出典

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