柴又帝釈天の街を歩く──「男はつらいよ」の聖地【おぢ散歩】

参道から柴又帝釈天を望む
参道から柴又帝釈天を望む

 「フーテンの寅」こと寅さんを主人公とした「男はつらいよ」シリーズの舞台として知られる下町、柴又。
 柴又帝釈天と参道商店街を中心に、懐かしい昭和レトロな雰囲気が漂う街です。

 この柴又は、江戸時代、そして昭和に2度の隆盛を経験し、今に至ります。

 東京営業所の木股と塩原が、柴又の街と江戸グルメを楽しんできました。

※本記事中の画像はすべてクリックで拡大できます。

庚申信仰とともに栄えた江戸期の柴又

柴又帝釈天の境内
柴又帝釈天の境内

 柴又帝釈天の正式名称は「経栄山題経寺(きょうえいさんだいきょうじ)」です。
 日蓮宗の寺院で1629年、日蓮宗の僧侶である日忠が開山しますが、実質的な開基(寺院を創立すること、あるいはそれを行った僧のこと)は、弟子で第二代の日栄であったと伝えられます。

 柴又帝釈天には、日蓮宗の開祖である日蓮聖人が自ら刻んだとされる帝釈天の本尊が安置されていたそうですが、江戸時代中期の一時期、所在不明となっていました。
 ところが、1779年の庚申(こうしん、かのえさる)の日、本堂を修理した際に板に描かれたご本尊が見つかりました。

 

 帝釈天は、もともとインドのバラモン教の神で、雷神、武勇神として知られていました。仏教に取り入れられた後は、仏法守護の神として、信仰する者に災いがあれば出現し、災いをなす悪魔を退散させるとされています。

 板本尊が発見された安永年間はわずか9年で終わり、続く天明年間も飢饉と疫病が蔓延するなど、暗い時代であったそうです。
 板本尊が発見されたときに、帝釈天の住職だったのは9代目の日敬(にちきょう)上人でした。日敬上人は、この暗い時代にあって、板本尊を背負い江戸の街を巡り、さまざまな奇跡を起こしたとされます。

 このことが評判を呼び、柴又帝釈天は当時盛んであった庚申待(「こうしんまち」、庚申の日に神仏を祀って徹夜をする行事)と結びつき、江戸の人々が宵庚申のために参拝に訪れるようになり、栄えるようになりました。
 日本橋から柴又までは、距離にしておよそ12km。
 当時の人たちの感覚で言えば、歩いて参拝をするのに手頃な距離だったのでしょうね。

 参拝客目当てに、屑米を利用してせんべいを、江戸川の土手で摘んだよもぎを使って草だんごを、そして当時は清流であった江戸川の川魚を用いた料理を提供したのが、柴又帝釈天の参道商店街の起こりであったとされます。

 当時の柴又帝釈天は、年間50万人もの人出があり、特に縁日が開催される庚申の日には大変なにぎわいであったと伝えられます。

「男はつらいよ」の大ヒットによって、年間200万人のにぎわい

京成金町線 柴又駅の駅前広場には、旅に出る虎さんと、それを見送る妹のさくらの銅像があります
京成金町線 柴又駅の駅前広場には、旅に出る虎さんと、それを見送る妹のさくらの銅像があります

 昭和期の柴又は、年間200万人もの観光客を迎える一大観光地でした。
 もちろん、その要因は「男はつらいよ」です。

 「男はつらいよ」について、かんたんですが説明しておきましょう。

 「男はつらいよ」は、渥美清さん演じる「フーテンの寅」こと、車寅次郎(くるま とらじろう)、通称“寅さん”を主人公とした人情喜劇で、国民的人気を博した映画シリーズです。

 主人公の寅さんは、口八丁手八丁でお調子者だけど、人情味あふれる人物です。テキ屋を生業とし、全国各地を旅しながら、さまざまな人と出会い、恋をして(すぐ惚れるんですよ 笑)、失恋する...、その度に故郷である柴又に帰ってきては、騒動を巻き起こす、というものがたりです。

 1969年から1995年までの長期に渡り、計48作が制作されました。山田洋次監督による、人々の心の琴線に触れる温かい物語と、渥美清さんの卓越した演技、魅力的な脇役陣、そして作品ごとに登場するヒロインらの魅力によって、「男はつらいよ」シリーズは、広く愛されました。

 

 「『男はつらいよ』って観てました?」、塩原が木股に尋ねていましたが、「男はつらいよ」シリーズ人気を支えていたのは、今の60~70代以上の世代でしょうね。
 木股も、もちろん「男はつらいよ」は知っていますし、TVで放送されていればチラチラと観た覚えはあるものの、しっかりと作品を観た経験はないそうです。

昭和レトロの魅力あふれる柴又の街

 営業キロ、わずか2.5km(駅は3駅のみ)という京成金町線の柴又駅前で待ち合わせた木股と塩原は、さっそく参道へと歩き始めます。
 200m弱の参道は、両側に料理屋や土産物屋が並ぶ、昭和レトロあふれる味わいのある町並みです。

 訪問したのは、見事な冬晴れの日。
 抜けるような青空のもと、ふたりは柴又帝釈天を詣でます。

 さらにふたりは足を伸ばし...と言っても、ゆっくりと歩いても5分ほどの場所にある江戸川土手に向かいます。

 このあたりの江戸川は、川幅も広く、流れも緩やかで穏やかです。
 細川たかしさんのヒット曲「矢切の渡し」も、ここにあります。

 ちなみに、細川たかしさんは、「やぎりのわたし♫」と歌っていますが、地名は「やきり」と清音で読みます。柴又とは江戸川を挟んで対岸にある松戸市矢切地区の名産、「矢切ねぎ」も「やきり」ですね。

江戸前の天丼を食す

 ランチは、参道の中ほどにある大和屋で、天丼をいただくことにしました。

 メニューは天丼、天ぷらごはん、おでんの3種類のみと潔く、他に酒類が用意されています。
 天丼と天ぷらごはんは、それぞれ上と並がありますが、聞けば、上は海老だけ。並は海老と白身魚とのこと。
 木股と塩原は、白身魚も味わえる並を選びました。 

 はい、天丼です。
 美味しそうでしょ!
 素性の良い料理とは、こういう料理のことを言うのでしょうね。「そうそう、こういうのが良いんだよ!」と思わず膝を打ちたくなるような、理想の天丼です。

 たっぷりの油で揚げているため、衣がはぜて香ばしいです

 江戸前天丼はごま油が基本ですが、大和屋ではごま油に加え、他の油も揚げ油にブレンドしているとのこと。その内容は「企業秘密です」とのことでした。

 

 最近では、どの観光地も外国人観光客でいっぱいで、良くも悪くも賑わっています。
 柴又へのアクセスは電車だとちょっと不便ですし、また、大型バスが駐車できるような大型駐車場がこのあたりには少ないように見受けられます。
 取材日は、外国人観光客も少なく人のにぎわいもほどほどで、ゆっくりと観光を楽しむことができましたが、こういった事情もあるのかもしれません。

 柴又には、他にも(今回は立ち寄りませんでしたが)寅さん記念館、山田洋次ミュージアムなどの観光施設もあります。
 地元では、観光客の誘致に苦労もしているようですが、逆に落ち着いて回れるところが、柴又の魅力とも言えます。

 ぜひ皆さまも、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

柴又駅前の寅さん像とともに
柴又駅前の寅さん像とともに

参考

  • 「葛飾柴又帝釈天の調査研究」
    東京都立葛飾商業高等学校定時制
    (平成13年度高等学校生徒商業研究発表大会)

  • 「柴又帝釈天遺跡Ⅷ 葛飾区柴又7丁目8番地2号地点発掘調査報告書」
    1997 葛飾区遺跡調査会

  • 「柴又帝釈天」
    経栄山題経寺


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